夜の木陰のサルパンチ

メンクラ猿の毎日をつづります。

落ち着き

何がどういうわけで私はランニングをやめ、

インプットよりもアウトプットを優先するというスタンスをやめ、

毎晩のように酒ばかり飲んでいるのか。

つまり、そこにはたしかに理由づけがあったはずだが、

いろんなファクターが入り乱れているうちに

何が何だか自分でもわからなくなった。

 

2年前の引越し、その半年後の起業。

一年前の停滞と、その半年後の妊娠発覚、結婚。

たぶんアウトプットをしてたのも、

ランニングをやってたのも引越す前。

そのあとはずっとバタバタを理由にしてるんだな。

 

しかしもう「落ち着く」なんてことはないんだろうな。

落ち着いたらやりたいなんてことを簡単に言うが、

子どもが出てくるだけじゃなく、

仕事の手も広げる予定なんだもん。

落ち着くのなんて100年後とかだぜきっと。

コントーン

秩序には無理がある。

潔癖症のやつはそれがわかってなさそうだから嫌だ。

他人が秩序を乱すことに腹を立てるよりは、

みんなバラバラでカオスになってるのを笑いたい。

 

というのは願望で、実践は難しい。

あまりにもカオスなやつには腹も立つ。

 

ただ努力目標としては、

完璧さより寛容さ。

窮屈さよりも大らかさ。

ワーク

忙しさとは何だろう?

たぶん私はバリバリ働いてる人みたいに働けないし、

これからもそんな風にならないだろう。

でも私は私なりに今週忙しいし、

もしかしたらしばらくこの忙しさは続くかもな。

 

仕事に飽きたらスマホすぐに見ちゃうし、

本当に集中力がないんですわ。

私が抱えてる仕事の量なんて、

そんな感じでも帳尻が合う程度のもの。

でもこれでも私としては忙しいわけで

これ以上に忙しくなるのは望まない。

が、今後そんなこと言ってらんなくなる可能性はある。

そんなこと望んでないのだけど、

もうちょっとお金に余裕が欲しいのも事実だし。

 

ただ自分がやりたいことやるためなら、

もう少し忙しいのも仕方ないんかもな

なんて考えてもいるんだ。

何よりもバランスだとは思うけれど、

自分のやりたいことで働けるのは素晴らしい。

そのための忙しさならさほど苦ではない。

割れカシューナッツ

気乗りしないんだけど仕方なく参加した講演会がとてもよかった。

チラシで講演の内容すらちゃんと見てたはずなのに、

それほど自分にストライクな内容とは予期してなかった。

節穴なんじゃないか?

 

テレビぜんぜん見ないし、

流し見なんて絶対にやらない。

スポーツや映画を狙い撃ちするのみ。

しかしたまたま見た番組が刺さることもあるわけで、

それはわかっててもそのためにテレビを見たくはない。

だってクソ番組にイライラしたくないからさ。

 

本当からゆっくり本屋を徘徊したいし、

もっともっと偶然性に身を委ねたいさ。

でもやりたいことややらなきゃなことはいくらでもあり、

結局、確率の高いものに食いつく日々。

 

こんなことを死ぬまで続けたくはないから、

なんか意図的にでも隙間みたいのを作りたい。

この強迫観念みたいなもんから抜け出したい。

ビーポリティカル

感覚的には私が学生の頃に比べたら、

政治的な意見はいいやすくなってるんじゃないのかな?

 

十数年前はまだまだネットの力は弱くて、

テレビが圧倒的な力があった。

今の政府の連中があの頃に現れていたら、

もっとひどいことになっていたんじゃないかな。逆かな?

 

意見がいいやすい環境は整ってきていても、

意見を持つ力はまだまだ足りていない。

本来なら教育とはそれを育むものであるべきだと思うのだが、

いま国は逆に考える力のない国民を求めているようだし、

実際に考える力を持たない国民がよく育ち、

雰囲気だけで国を礼賛したりしている。

 

本当に強い危機を感じている。

 

だから私は少しでも思考力をつけるために、

教育の場を作ろうとしている。

 

愛着玩具

あんなにあった玩具は

いったいいつの間に捨てられていったのだろう?

愛着があるうちは手を出さなかっただろうから、

私から興味が完全に消えたものから

捨てられていったのだろう。

いま記憶の中では本当に気に入ってたものばかりで、

興味がなくなってからの記憶は当然ない。

おそろしいことだな。

杞憂

実は来月には子どもが生まれる予定です。

でも今はまだ妻とも別居してます。

 

やっぱり生まれたら生活は変わるし、

一緒に住み始めたら大変なんだろうな。

奥さんとうまくやっていけるか、

すごく不安です。

 

何事も完璧さを求めないことだよね。

欠けている部分を認め合い、

補い合っていけばいいだけのこと。

感情的になることもときにはあるかもしれんが、

あまり根に持たないこと。

こうやって書くのは簡単だけど、

実践できる気もしてるぜ。